■鳥取県は中国大陸に近く、中国文化の流入が進んでいたと考えられます。
特にたたら製鉄など鋳造技術はかなり発展していました。
■それを裏付けるように、多くの銅剣、銅鐸が出土しています。
■当然経済もかなり進んでおり、砂丘地帯や大山山麓に縄文遺跡、弥生遺跡が分布し、古墳も数多く発見されています。
■当時の鳥取は湿地帯であり、水辺に集まる鳥をとらえて暮らす狩猟民族が住んでいました。
■大和政権成立以後、彼ら狩猟民族は”鳥取部”として従属し、そこから”鳥取県”の呼び名が出来ました。
■古事記が編集され、多くの日本神話がまとめられました。
■大化の改新後、因幡・伯耆の国として統治されるようになりました。
■大伴家持が因幡国司に命じられる。
■因幡の白兎
サメに毛をはぎ取られてしまったウサギが大国主に助けられます。
白兎神社には伝説となった池が残されています。
■八神姫と大国主
古事記にはまじめな話だけではありません。八神姫と大国主のロマンスも描かれています。
■やまたのおろち
■初期荘園として東大寺領が設けられる。
■三徳山投入堂が建てられる。
■源平争乱期には伯耆の国を中心に在地武士の間で激しい戦いがおこる。
■承久の乱により後醍醐天皇が隠岐に流される。
■山名氏が因幡・伯耆の国を守護として支配する。
■池田氏により鳥取城が建てられる。(1632年)
■廃藩置県により、因幡・伯耆・隠岐の国が合併されて鳥取県が成立する。(1871年)
■5年後(1876年)に島根県と併合される。
■地元の名士たちの反対により、さらに5年後(1881年)に隠岐島は島根県に残したまま、鳥取県が分離する。
大阪在住の大学生です。旅行が趣味で国内は東北以外はほぼ制覇し、海外旅行も10ヶ国ほど訪れています。
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